『西園寺公望』は明治39年(1906)には伊藤博文のあとを受け、政友会を率いて内閣を組織した。その政治姿勢は終始、平民主義を貫き、その後、我が国の元勲と呼ばれるにいたった。この『坐漁荘(ざぎょそう)』は『西園寺公望』が政治の第一線から退いた後、大正9年(1920)に駿河湾奥、清水港近くの興津の海岸に建てた別邸である。
旧東海道に沿って建てられた低い塀の奥に、玄関、台所、二階建座敷等の屋根が幾重にも重なる。木造桟瓦葺で軒先に軽い銅板を廻らした純和風建物であるが、小屋組には強い海風に耐えられるよう工夫がみられ、梁を斜めに渡し、鉄筋の水平筋違いを十字に張っている。
『坐漁荘』の名には“なにもせず、のんびり坐って魚をとって過ごす”という意味がこめられていたが、実際には事あるごとに政治家の訪問を受けざるを得なかった。
博物館:明治村
http://www.meijimura.com/visit/s27.asp
要人だけあって、竹格子の中に鉄が仕込まれている。
浴室は凝った造作がされている。
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