2013年4月28日日曜日

栃木県『伝統板倉構法の家』配筋工事検査


深夜12時に三重県久居市を出た建築家様に、愛知県『刈谷インターSA』(伊勢湾岸道)で待ち合わせて同乗。栃木市の建築現場に向かいました。栃木県の地元業者様で行う作業も多いために、業務状況を把握するためと基礎配筋が図面通りにきちんと行われているかのチェックに立ち会うために参加しました。

途中、首都高速道で事故渋滞にあったものの、朝9時頃には栃木市大平町の建築現場に到着。基礎屋さんと鉄筋屋さんと打ち合わせの後、次の打ち合わせまで時間が空いたので、近くの立ち寄り湯『小山温泉 思川』に入浴しました。眺めの良い露天風呂から、日光の男体山も遠望でき、思川が眼前に広がり爽やかでした。この日は冷たい風が強く吹いていたので温泉は温まります。お湯も柔らかで良いものでした。

そして、24時間後に愛知県『刈谷インターSA』に戻りました。楽しく有意義な、長い一日でした。棟上げの日が楽しみです。

今回の感想として、基礎屋さん・鉄筋屋さん・ガス工事屋さん・水道工事屋さんは、みなさん礼儀正しくて、きれいな仕事でとても感心してしまいました。「これなら大丈夫」との感想です。独特の”栃木なまり”にも好感がもてました。そして何よりも、こちらの建築家様のいつも通りの誠実さには頭が下がります。

基礎屋
複数の業者様と綿密な打ち合わせ。
図面通りに配筋されているか確認。
寒い日でした。
栃木温泉 思川からの風景。




2013年4月23日火曜日

栃木県『伝統板倉構法の家』基礎工事の準備


さて、土工事も進み、次は基礎配筋の準備に入ります。とても重要で注意を要する工事です。

この基礎工事がキチンとされていないと大きな地震がきた際に、建物の揺れを分散吸収できずに容易に倒壊することがあります。どれほど立派な建物を造ったとしても基礎が頑丈でなければ意味がありません。

 根切り底を平滑にし砕石を敷く。
ランマーで叩いて堅めます。
湿気が上がらないように防湿フィルムを。

『愛知県名古屋市:南欧風住宅』その後


4月12日に名古屋市の現場を2軒訪問しました。こちらは棟上げを終えて、次の作業を待っている状態です。工務店が忙しくなってきたようなので、工期がズレこんでいかないか心配です。


愛知県名古屋市『和モダン住宅』の内装工事


4月12日の訪問でも工事の遅れが目立ちます。やっとサッシ枠が持ち込まれましたのですが、気になります。

7寸(21cm)の桧大黒柱はきれいな木肌です。こちらのお宅には7寸が3本入っています。



2013年4月17日水曜日

栃木県『伝統板倉構法の家』土工事開始

いよいよ、栃木県『伝統板倉構法の家』が着工しました。

地盤調査も終えて、これから基礎工事にはいります。その前に土工事と言って、基礎の基礎である土の中を強固にする工事が開始しました。

こちらの設計施工は三重県津市にある設計事務所様ですが、ほとんどの工事は地元の業者様で行います。

根切り作業と言います。
何でも、見えない部分をきちんとすることが大切です。

2013年4月10日水曜日


24年1月初めに栃木県の方から以下の見積依頼を受けました。一年以上の期間をかけて、この度の地鎮祭になりました。いよいよ着工です。

「ほぼ100%国産材希望、合板も使いたくない。本格和風(可能なら伝統構法で) ・無垢材の手作り収納家具」とのことでしたが、ご予算がとても足りませんでした。それでも地元周辺に公開募集をかけましたが、やはり手が挙がりませんでした。

それで100kmほど離れた工務店様にお願いしました。しかし、そこでも請けられないとのことで、建築費を300万円増額して再募集をかけました。その際に、三重県の設計事務所が「関東にも進出したい」との要望がありましたので「親切丁寧な姿勢を買い」そちらにも入札に参加していただきました。伝統板倉工法の全国組織に所属していましたから、建築予定地に近いところの専門大工に要請するとのことでした。メンテナンスは大丈夫のようです。

そして、三重県の設計事務所から責任者様と担当者様が出席しました。お施主様は幼いお子様と三人のご家族様です。住み心地の好い木の住まいができることでしょう。私も楽しみです。


三人のご家族様
三重県の設計事務所、所長
可愛い奥様とお子様

2013年4月4日木曜日

岐阜県可児市『板倉工法の家』の完成間近


現場に行く道中でも桜が満開になっていました。

外観はツートンカラーで、珍しく上部がブラック、下部がホワイトです。
内部も大工工事は終わって、設備機器の調整が残っている程度でした。

思ったよりも良い出来と思います。建具類も節のないものを使用してスッキリさせています。ただ国産材で作れば良いというものではなく、お施主様の立場になって細かい気遣いが大切です。

このようなことの積み重ねが評判の良い工務店となっていくのです。評判を高めるのも、低めるのも積み重ねの結果なのです。

切り妻屋根はスッキリと見えます。
男前の外観です。
引き渡しクリーニングの途中。
キッチンはホワイト。
和室は落ち着きます。
スキップフロアーは明るい。
二階の洋室は上がロフト。
ドア類も収納も手作りです。












2013年3月27日水曜日

『愛知県名古屋市:南欧風住宅』棟上げ完了

3日後に行きましたら屋根のルーフィングも終わり、しかりと骨組みができていました。

これから、コツコツと大工仕事に入ることになります。まだ現場の木っ端が片付いていないようですが、分別ボックスが設置されて整理整頓されていくはずです。

 一般的には屋根の下地に合板を使いますが、
こちらでは桧の野地板を張ってあります。
この段階でも居心地が良い。
右にある合板は作業中の踏み板。

2013年3月25日月曜日

『愛知県名古屋市:南欧風住宅』棟上げ


穏やかな陽気の中、建築現場に着くと既にクレーンが活発に働いておりました。

通常、私がお施主様のご家族とお会いするのはこの日が初めてになります。太い材木が次々と組み込まれていく様子は、私が何度見ても大きな感動がありますから、お施主様にとってはワクワクする一日に違いありません。

お昼には美味しい昼食を準備してくださり、とても美味しくいただきました。

午後からは、いよいよ地棟の組み上げです。松材で10mあり、元の太さは尺一寸(33cm)もあります。しっかりと組み込まれ耐震強度を保ちます。

夕方には、道路にあれほど積まれていた部材が片付いてしましました。お近くにお住まいの方が「木の家がほしいが耐震性はどうか」と問われましたので、実物を見なが説明をいたしました。太い梁や、2本ある7寸の桧大黒柱に驚いていました。やはり、最近はこのような昔ながらの住宅建築風景が珍しいのでしょうね。


柱だらけ
地棟は松材10mあり、元の太さは尺一寸(33cm) 
 感動のショット!毎回、拍手をしたいほど 
 太い柱に組み込まれます。
屋根の下、小屋組も太い木材が使われます。
どうだ!自慢の家です。 
 夕方には骨組みの完成です。 
玄関から見上げるとスゴイものがあります。

2013年3月21日木曜日

岐阜県可児市『板倉工法の家』のサイディング工事


しばらく春めいて暖かな日が続いておりましたが、今日は一転、寒気がやってきました。

冷たい風の中、サイディング工事が進んでいました。サイディング屋さんは、このような無垢材の家は初めてのようで「すごい家ですね。高いのでしょうね」と感心していましたので「どれぐらいで建てられると思う?」と訊ねてみましたら、「3000万以上はすると思う」と「5000万円近いのでないですか?」との意見でした。

ザックリとした建築費を言うとビックリしていました。一般的には国産無垢材の家は“高額”のイメージがあるようです。

内部大工工事もずいぶんと進んでいました。全体的に、塗り壁の施工は注意して施工しているようでした。

寒い中のサイディング工事
 二階への階段
 キッチンからリビングを見る
 リビング
 スキップフロアー
二階の屋根裏はロフト
天井も東濃杉の板張り

愛知県名古屋市『和モダン住宅』の電気工事


一人の大工さんが、コツコツと壁の下地と床の仕上げ工事をしておりました。

この日は、電気の配線工事も同時に行われていました。



『愛知県名古屋市:南欧風住宅』棟上げ近し


24日が棟上げの日ですから現場をのぞいてきました。もうすぐです。どのような骨組みになるのか楽しみです。


2013年3月1日金曜日

岐阜県可児市『板倉工法の家』内装工事

2月の末日でしたが、暖かな陽気でした。

内装の大工工事が急ピッチで進んでおりました。工業化住宅と違い、現場でノミやノコギリを使う姿が度々みられます。

二階の床は済みましたから、汚さないように養生(ようじょう)をします。

現場清掃にも注意を払うように指導してあります。「きれいな仕上がりは、きれいな職場から」




2013年2月26日火曜日

明治村のレトロ住宅の見学

この頃、若い世代のご夫婦が、このようなレトロ感覚の強い家を建てられるようです。落ち着くのでしょうか。

『西園寺公望』は明治39年(1906)には伊藤博文のあとを受け、政友会を率いて内閣を組織した。その政治姿勢は終始、平民主義を貫き、その後、我が国の元勲と呼ばれるにいたった。この『坐漁荘(ざぎょそう)』は『西園寺公望』が政治の第一線から退いた後、大正9年(1920)に駿河湾奥、清水港近くの興津の海岸に建てた別邸である。

旧東海道に沿って建てられた低い塀の奥に、玄関、台所、二階建座敷等の屋根が幾重にも重なる。木造桟瓦葺で軒先に軽い銅板を廻らした純和風建物であるが、小屋組には強い海風に耐えられるよう工夫がみられ、梁を斜めに渡し、鉄筋の水平筋違いを十字に張っている。

『坐漁荘』の名には“なにもせず、のんびり坐って魚をとって過ごす”という意味がこめられていたが、実際には事あるごとに政治家の訪問を受けざるを得なかった。

博物館:明治村
http://www.meijimura.com/visit/s27.asp




要人だけあって、竹格子の中に鉄が仕込まれている。


浴室は凝った造作がされている。